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さわさわ

さわさわ・・・。

 

一日の診療が終わる頃、心がさわさわし始める。

 

秋口から隔週でかなり大きな舞台に登壇し、それぞれ内容の違うお話をあちこちでせねばならない。 早いものは昨年からオファーいただいていたが、気がついたらかなり負荷のかかる分量の仕事を引き受けていた。

 

適切な負荷はヒトの成長には良い事だ(と思っている)。

 

50年以上前、チタンと骨が結合する(オッセオインテグレーションと呼ばれる)現象がセレンティピティとして発見されてから、まだまだ不明な点もあるけれど、「オッセオインテグレーションと負荷」の関係に関して興味深いことが分かってきた。

 

骨内に埋入したインプラントは適切な力学的負荷がかかるとより骨結合が早く強固になる。

しかし、それが過ぎると破壊の方向へ向かいダメになってしまう。

では、「適切な負荷」とはどのくらいか?というと、その理想値は不確定でコントロールも難しい。そして、そのコントロールは臨床医の勘どころに負うところが大きいそうだ。

 

勘どころが外れ適正負荷以上の分量を引き受けたかもしれない自分は、この秋破壊してしまうのだろうか?

 

それでも仕事のオファーへの誘惑は抗しがたい。

 

何なんだろう、その根源はと思っていたら、阿川佐和子がゲストになった「ワンダフルライフ」というインタビュー番組での一言。

 

「やった事ない事を人に頼まれるって嬉しいよね」 by リリーフランキー

 

なるほど、そういう事か、そういうことだよね! と納得。

自分を元気づけたものの、今週末も何も進まず。来週こそはターボをかけようと冷たいアールグレーを飲みながら冷静を保とうとしている。

 

さわさわ。

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STAP問題について〜業績って何だ?

なかい歯科 義歯インプラントほてつ研究所 院長 中居です。

 

自分の無能を棚に上げて話をしたい.

この問題で二次的に浮き彫りにされているのは20年ほど前から始まった業績至上主義の弊害である.大学•研究職にとっての「業績」とは「論文数×質」とほぼ同義である.研究所はともかく大学教官、特に医系の大学は研究の他に臨床、教育の三本柱が職務であるはずだが、現実的には論文=業績とされる.  それ以外の職務は定量的、客観的評価が困難であるかららしい.今回の舞台裏の空気感から察するところ、事情は今もあまり変わっていないようだ.

私は論文らしい論文をほとんど書いていない.書こうにも書けなかったからだ.敢えていうなら、かっこいい論文でなければ恥さらしになると思って書かなかった.恥さらしじゃない論文を製作することは本当に大変なことだ.時々邦人の良質な論文を国際誌で見かけると、心底リスペクトをする.しかし、そんなことはそう多くない.残念ながら.

競争原理の導入の弊害と多くの識者は言うが、本当にそうか?「恥」を「恥」と感じる感性の問題じゃないか?と私は思う.昇進、保身のための見苦しいまでの業績作りを「恥」と感じる感性の欠落とがこの問題の根底にあると私は考える.そんなのをうんざりする程みてきた.言い換えれば、少なくとも4時間切れるまではマラソンにエントリーするのはやめようよ、別に個人の自由で出るといえば出れるんだけどさ、といったような強がりみたいな感性.

今この年になって、ようやく恥ずかしくない程度の論文が作れるかもしれないところまでたどりついた.でもよく批判的に吟味していくとまだ少し恥ずかしいところもある.私は任期制で雇われている身でもないから、急ぐ理由はない.いつかその結果を世に示したいと考えている.いつになるかは分からないけれど.恥ずかしいことだけは嫌だ.

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Irish hospitality 〜 お•も•て•な•し

新年明けましておめでとうございます。なかい歯科 義歯インプラントほてつ研究所 院長 中居です。

 

さて、事務局より案内の通り、年末年始は医院移転騒ぎでドタバタと過ぎました。

本日現在、何とか患者さまをお迎えする状態になりホッと一息。

 

ドタバタと言えば・・・、

昨秋は学会でアイルランドのダブリンへ行ってきた。

またまた、実り多い学会だった。今回もドタバタ弾丸ツアーで関空→京都到着後、医院へ直行、間髪入れずに診療開始という相変わらずの強行日程となった。

という訳で、旅行記的報告は残念ながらほぼない。 が、分かったことがひとつあった。 行ったことのある方は皆さんご存知だろうが、アイルランド人のもてなしというのは他国と比して傑出している。

 

帰路で読んだダブリン生まれのジェイムス•ジョイスの短編 ”The dead”にこんな一説があった。

 

“-The tradition of genuine warm-hearted courteous Irish hospitality, which our forefathers have handed down to us and which we in turn must hand down to our descendants, is still alive among us.”

 

主人公が年末恒例のパーティーの最後に行うスピーチで祖国や隣人を想う心が感動的に吐露される場面である.

 

あえて拙訳すれば、

「真に心のこもった礼節あるアイルランドのもてなしの伝統、我らが先人より受け継がしまた後世へ受け渡すべし伝統、その心は今も我らの中に生きている。」

 

100年以上前に書かれたこのスピーチは、100年後の現在のアイルランドの心が確約されていたかのようだ。  タクシーで,レストランで、道で、ホテルで、会場で、至る所で誠実で暖かい心が根付いていることに大変感銘を受けた。

 

北方の、貧弱な、多くの血が流された土地に生まれた豊穣な心に感動した。おそらくもう行くことはないかもしれないけれど、アイルランドを好きになった。

 

今回の旅の思い出はそれのみ。 でも、だから苦労してでも旅をする価値はあると信じている。

 

新医院での我々の「お•も•て•な•し」は大丈夫か??

もう一度診療室へ戻って確認しておこう。

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リフォームの密かな愉しみ

お久しぶりです、なかい歯科 御所南ほてつインプラントセンター 院長 中居です。

突然ですが、私は衣類をリフォームすることが多い。

例えば靴 。先日10年以上前の昔のスパイク付きゴルフシューズのソールをラバーに置換した。

大層レアなものだったようで、マニアックそうな店員さんの目がきらりと光り、口元が緩んだ.  後日、その「症例」はステップごとにブログで紹介された。

http://subarurepair.blog.fc2.com

靴は、世界にふたつとないものに蘇った。

例えばコート。これは20年前のチェスターフィールドコート 。

真冬のパリの紳士たちの多くはこの地味な普通のコートを普通に着ていて,それがとてもイカしていた。それは今でも変わらないけれど、ティテールが時代から乖離していささか「醜悪な過去」になっていた。 せめて、「得難い過去」に変貌してくれたらしめたもの、いやむしろ、今が旬のトレンド感なんかより私にとってははるかに好ましい。

なぜなら、それは時間を纏えるから、無二の記憶に包まれるからだ。 できあがりは、当然「今」にはならない。でも美しい過去となって戻り、この冬から再登板している。

袖をとおす度にほくそ笑む。 どのコートも語れないストーリー。 どこにもない・・・。「オンリーワン」

この冬、なかい歯科は寺町二条の旧•京都銀行 寺町二条支店をリフォームし、新たなステージへと進みます。

 

銀行の遺残になかい歯科の記憶を移植して、新年6日より診療開始です。

 

 

どこにもない歯科医院。 でも変革の時代の真ん中をまっすぐ進み続ける推進力を持つ歯科医院。

そんな歯科医院に成長させたいと思っています。  密やかな愉しみとともに。

 

 

 

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そうだ、ジブリ行こう!!

 

なかい歯科 御所南ほてつインプラントセンター 中居です。

怒濤の7月が過ぎ、ようやく盆休みの8月がやってきた、と言いたいところだが、状況は変わらず、講演2本、原稿締め切り1本その他打ち合わせも諸々.

心がずっとさわさわしている.  やらねばならないのに診療と雑事でそれらの仕事に取りかかれない.

そんな忙中にも関わらず、なぜか土曜の夜晩ご飯を食べながらふと「そうだ、ジブリ行こう!!」と思い立って映画館へ行った.  こんな晩でないと、たぶん見ることがなさそうだと思ったからだ.

新作「風立ちぬ」は良作だった.

冒頭の夏の朝の蚊屋からみた外の風景などは、たぶん映画史上初めての絵だったのではないだろうか. 蚊屋独特のにおいが漂ってきそうな演出。宮崎駿の作家としての凄みはこんなところにあると思う.  プルーストのマドレーヌが回想のトリガーになるように、蚊屋のエピソードはたちまち私自身の遠い夏の朝の祖母の記憶につながっていった.

今は無い生家の屋敷とその離れとの間にある庭一面を覆うねむの巨木は夏に花をつけた.  朝早く起きると、空から「ぶーーーーーん」という幻想的な静かな低音が降りてくる.  「あれはなに?」と聞くと、祖母はミツバチの羽の音だと教えてくれた.  たったそれだけのことだけれど、その時間だけは切り取ったフレームのように、何かのきっかけでわき上がってくる. 記憶の中の祖母はジブリ作品にしばしば登場する時間を超越したような語り部のようだ. 極端に腰が曲がり、嘘っぽいぐらいしわくちゃで、しゃがれ声で、古語のような方言で.

たぶん、この作品が愛されるのであれば、見た人がそれぞれの記憶のトリガーを引かれる部分があるからではないかと思う.それは青空を横切る一陣の飛行機雲かもしれないし、軽井沢の森の小径かもしれないし、 夢の中の空中浮遊かも知れない.

反戦や、運命や、愛や、災害や、復興など幾重にも語るべき点はあるのだろうけれど、本編のキャッチコピー「生きねば。」はとても的を得ている.

この映画は真に生命肯定であることが、感動をもたらす.

 

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”

 

ちなみに、ヴァレリーとプルーストは同い年らしい.  どうでもいい豆知識だけど(笑)

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名古屋→京都→長崎→京都、怒濤の一週間

お久しぶりです、なかい歯科 御所南ほてつインプラントセンター 中居です。

 

先週末は名古屋でアストラ、木曜日は長崎大学と講演が続いた。

いずれも聴衆の皆さんにはよかったとのお話をいただいたのでうれしい。長崎では、大学の若手の皆さんとよく食べ、よく語った。卒後まだ日も浅い先生たちからの質問攻めは来た甲斐があったというもの。参考になるのであれば、と結構な時間しゃべり倒した。熱く語りすぎたかと、少し反省している。

翌日は早朝から移動、11時には京都の診療室に戻り診療を行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学との共同臨床研究も次のステップに進んだ。ほぼ日本初の試みになるかもしれない。大きな挑戦だけれど完遂したい。

 

“Petite et accipietis” (求めよ、さらば与えられん) – マタイ伝

浦上天主堂のお膝元で昨夜はこんなことを学生にアジってみたが、自分にも言い聞かせよう。

 

「ガチで取りにいってみろよ、そしたらマジゲットできるぜ!」

宮藤官九郎だったら、古田新太にこんな台詞を言わせるか、、、、、。

 

今春から長崎大学の臨床准教授として奉職することになったが、4,5月と訪問できず、今回が今年度初めての訪問であったので学部長室に赴き、学部長から直接任命書を手渡された。

なかい歯科のクレドの一つ「情報発信」の拠点が他所にもできたことになる。

 

また、一昨日は福岡歯科大学から、再来月の日本補綴歯科学会のシンポジウム演者の正式要請があった。急なことで準備期間は2ヶ月もないが、一開業医としては大変名誉なことなのでお引き受けした。

 

いやはや、このばたばたは完全に慢性化してしまっているが、そんな混沌とした移動中の機内から半島の地勢を眺めながら、こんな人生も面白いもんだなと、ふと思ったりもする。

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Input / Output 〜  何でもみてやろう?

お久しぶりです。なかい歯科 御所南ほてつインプラントセンター 中居です。

 

仕事の入力/出力の収支バランスは難しい。

特に時間のマネージメントは。

今年の大まかな予定としては、対外的に出歩くのを極力控え、アウトプットを抑制し、内省的に内向きにエネルギーを使おうと思っていた。

たぶん、当院スタッフもそれを望んでいるだろうし(院長はいつもバタバタしてすぐどこかに消えていってしまって、愚痴のひとつ聞いてももらえないと、彼女たちの不満は年々高まりつつ、結構なところまでに達していることも承知している。どさくさ紛れに、ごめんなさい(-_-) とここで謝っておく)、なにより、私自身が種々の院内マネージメントに注力したいと強く願っていたからだ。

 

ところが、年が明けると次から次と講演依頼やら学術プロジェクトやらどんどんはいってきて、結局昨年上半期より明らかに過密スケジュールになってしまいそうな気配。

もう6月まであれやこれやで週末はほぼ埋まってしまった。

 

断ることも考えたがそれは当院のクレド(信条)に反する。

当院のクレド第4条は「社会に情報発信をする」。

 

私が仕事を選んではいけない、仕事が私を選んでくれたのだ、そう思って、全ての仕事をお引き受けしている。

 

今年からは、長崎大学臨床准教授として奉職する。

小さな歯科医院の一介の開業医のつもりが、何か見えない力でどこかへ向かおうとしている。行き着く先はどこなのか分からないが、誰も旅したことのない不思議な旅になるかもしれない。それもまたよし、十分おもしろがってやろう、この世界の見れるものは全て見つくしてやろう、そんな好奇心がこの奇妙で慌ただしい生活を支えている。

 

昔々、故•小田実の「何でもみてやろう」って本があったのを思い出した。

何回か予備校で話を聞いたこともあったが、キャラが強い方だった。やっぱり僕も少し、、、、、、、、か?(+_+)

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新年に〜情熱が恐怖に勝る瞬間

皆様、明けましておめでとうございます。

なかい歯科 御所南ほてつインプラントセンター 院長 中居です。

 

元旦の深夜「ニッポンのジレンマ」という不定期放送の番組を見た。

テレ朝系「朝まで生テレビ!」の若者版。1970年以降生まれの論客を集めた討論番組だ。これがなかなか鋭い。ダルそうな若者たちが群れてクダを巻いているかもという当初の予想を大きく覆す内容だった。しなやかな時代感覚を伴いつつ、熟慮された重層的な発言が飛び交う刺激的な番組に仕上がっていた。

彼らに対して、ごめんなさい、と素直に思いました。

 

さて、その中で、とても印象深い一言がありました。

 

「情熱が恐怖に勝る瞬間が来たとき、人は一歩踏み出す」という言葉。

 

情熱が恐怖に勝る瞬間?

 

もしかして、昨年のどこかで自分にその瞬間がきていたか?

 

あれ・・・・?

もしかしたらもう来ていたのかも。

 

あっ、キテた!!(驚)

 

自分がそうした情熱をもって47歳を迎えることになるとは、10年前は考えもしませんでした。肉体の衰えは必ずしも情熱とは比例しないと、この身を持って知りました。まだまだ学ぶべきことはずっとあるのですね。

 

一歩踏み出す覚悟とともに2013年、なかい歯科は次のステージに進みます。

 

なかい歯科の理念は

「医療活動を通じて社会のQOL向上に貢献する」

です。

いよいよ本気で、強い覚悟で、それを達成する一歩を踏み出すことを、年頭の所信としてここに宣言いたします。

 

皆様、本年もよろしくお願いいたします。

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原稿とブーツの誘惑と、、、。

こんにちは なかい歯科 御所南ほてつインプラントセンター 中居です。

 

今年は急に秋がやってきた。

紅葉もそろそろピークで、当院界隈もいつもより観光客のにぎわいが増えたような気がする。

特にアポイントメントも入らず天気もよく行楽には絶好の日曜だったが、たまっている原稿執筆には最適な時間が捻出できたので丸一日朝からPCに向かっていた。

(少し息抜きにこれを書いている。)

午前中にまず書きかけの一本目を9割仕上げて、後は字数制限内に間引いて図版を添付して送信して校了。

カレーライスを食べ、午後からは、二本目。

ただし、これは専門誌の大特集の基調となる巻頭掲載予定の文章だけに、ダーっと書き流せない内容で少々荷が重い。

 

しかし、重い荷物をしょい続けると、いつの間にか前よりもう少し重いものが持てるようになっていたりする。ある意味、頭の筋トレだと思ってやっている。トレーニングは何でもそうだがやりはじめが一番つらい。ペースやフォームができてくるとそれなりに進度もあがってきて効果も出てくる。このペースをそのまま明日もいきたいところだが、そこは一介の開業医、明日は朝から夜までまた本業の治療が慌ただしく始まる。

だから、こんな仕事をしているときは効率よい切り替えがとても大切だ。

お気に入りのショートブーツを履いて医院を飛び出し、近くの珈琲屋に資料を持ち込んで仕事をするのはそういう理由からだ。

 

あとひとつの理由。

テラスに出ると、紅葉は見れないけれど、心地よい秋風そよぐ貴重なこの数日の大気の様子を、中厚のセーターを通して終日感じることができる。軽やかなブーツの足音を聞きながら、時には一瞥して(笑)。

これが私なりのささやかな今年の秋の楽しみ方だ。

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基本的にこう思う

こんにちは。なかい歯科 御所南ほてつインプラントセンター 院長の中居です。
先週末の夜は、知人の来訪があって24時過ぎまで京都で楽しく歓談していたが、土曜は朝9時から東京で学会のシンポジウム出席のため、始発の新幹線に急いだ。

いつものようにすこし余裕をもってタクシーで駅に向かった。

 

普段は駅のどこにつけるか、細かく指定するもののさすがの早起きでぼーっとしているうちに駅に到着。

ところが、新幹線口とは異なる場所。いつもなら、何も言わなくても「新幹線口でよろしいでしょうか」とか、そうでなくても「駅のどちらまで」なんて聞かれていたのは、運転手さんが私の服装やら持ち物や時間帯やら顔つき(?)など総合して「察して」くれていたのだろう。

ところが今日はまったく何の察しもなく、ただ機械的に輸送された。今さら、別の口に回り込むのはむしろよけいに時間がかかると判断、降車した。

ところが今度は、新幹線乗り換え口が見たことのない行列・・・。

なれない家族連れの観光客が多いせいか、自動改札口なのに、毎回毎回ゲートがエラーを起こし機能停止状態。さすがに慌てたが、発車後秒前に列車に駆け込めた。ゆっくりと休んでいこうと思ったが、のっけからすっかり覚醒させられて新幹線でゆったり休もうなんて感じではなくなった。

 

ここでわたしの取りうる考え方が二つある。

 

一つは、サービスの質的問題と他者の愚行を糾弾する。

もう一つは、サービスエラーを起こりうる範疇と容認し、大衆の質的散らばりを理解する。

 

前者を取るのは感情的にはなじみが良い。ただし、いつもみんなこれをやっていたらかえって互いに生きづらくなるのは明らかだ。

だから私は、過剰サービスは、基本的には期待せず、世の中にはいろんな人がいるということを前提に諸事を考えたいと思っている。

医療もその根本はこんなコンセンサスがあったらいいのに、なんて思うのはいけないことだろうか?前者の立場をとることは何か大きなものを自ら失っているように思うのだけれど。ドクターも患者も、、、。

 

日本式の緻密なサービスはすばらしいけれど、いつもそれに期待して飼いならされているからこんなことになる、と思っていたら間違いはない。

察することを人に求めず、常に緊張感を持って身の回りを取りはからわねば、と反省した。

 

でも、朝五時半からの緊張感はこのスケジュールにはすこしー無茶なんだよな、やっぱり。(泣)

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