「患者様」が医療を壊す 後編
なかい歯科 御所南ほてつインプラントセンター 中居です。
前回からのつづき・・・
おふたりそれぞれ、下顎に脆弱な歯を2、3本残したほぼ総入れ歯に近い患者さん。補綴難易度はともに最高レベル近い。
一方の患者さんは、予算の上限を決め、こちらの提案する治療案を受け入れていただき、特に注文、不満を口にすることもなく完成した。
ただし途中の移行期には、こちらから見ても咬めなかったりしてしんどい時期も長かったと思う。しかし、そこにいちいち言及せずじっとこらえて通院していただいた。
私も最短コースで軸のぶれないおちついた仕事ができた。
もう一方は、費用に大きな制限は付けなかったものの、その要求ポイントも独特で、ご自分の職業に起因する治療への持論をしっかりお持ちの患者「様」。
私が最善と考える提案はしばしば却下、変更を余儀なくされ、そのことによっておこる治療中の偶発症状にも耐えかね、しばしば急患として来院された。
治療は後手後手となりなかなか進まず、今度はご自身がそのことにストレスを感じ、ようやく完成までこぎつけたものの、患者さん自身の強い希望を最大限組み入れ具現化したことによる偶発症はその後も頻発し、、、、。
言うまでもなく結果の差は明らかである。
前者の方には「この上なく良くなった、入れ歯が入ったのを忘れてしまっている」との感想をいただいた。一方、後者の方には不満足が残ったままだ。
患者「様」と呼ばれ始めて一見以前より大事にされたようになって久しいが、果たして本当にこのやりかたが患者への受益になったのだろうかというのが岩田氏の論旨である。
こう解説していても、とても難しい話である。
誤解を受けやすい話だが、ただドクターに丸投げしろということではなく、自分でも考えて必要な知識も最低限得て、その上で「先生お任せします」と「演じる」ことが必要なのだと力説している。
それによって、ドクターの知識、技術は最大限に引き出される。
さらに言えば我々も日常「ドクター」を演じている。そして患者さんを読んでいる。演じている患者さんを読めている。お互いがお互いの役を演じてそれを理解しあう、その大人の関係が理想的なのだと言うわけだ。
昨今、いろんな医療情報をこうしてネット検索できるようになって、患者さんが得られる情報は飛躍的に多くなった。それは最低限の知識を得るという意味でとてもいいことだと思う。
ただ、「私はこのくらい良く知っているんだ」と顕示する方に限ってその知識は不正確で偏りがあったりして、むしろ有害なドグマを形成する不要な知識だったりする・・・。
そうして間違ったチョイスをして不幸な目にあった(あってきた)方々を我々は日常多く目にしている。別の言い方をすればネットの情報の確度はその程度であると思った方がよい。
当たり前だが、我々はプロフェッショナルとして、歯のことばかり何年も何十年も毎日考えて続けている。命をかけて。あるいは命を削るようにして・・・。
それによって蓄積された強固で膨大な知識体系が短期間にネットで得られた知識に並ばれるはずがない。同様のことを岩田氏も述べている。
患者さんにおいては、「お任せします」というのはとても勇気のいることだ。もちろん、わからないことはどんどん質問してもらえば良い。しかし、最低限の知識と、ある程度納得のいく話し合いで大枠が決まったのなら、そして主治医がまあいい人なんじゃないかなと思えたら、後は「お任せします」でいいんじゃないかと。
私もいつかどこかで患者になる時が来るだろう。そのときは、信頼した医師に「よろしくお願いします」とだけ言って、あとは鼻歌でも歌って回復するのを待つようにしたいと思った。




