加藤周一氏の死に
加藤周一氏が昨日お亡くなりになった。
戦後日本の知の巨人ともいえるその広範な足跡に凡人は言葉を失う。太く長く鮮やかな人生だけにその発言はいつまでも絶えることがないような錯覚をしていた。
ちょうど先月のことだ。私は書店で「羊の歌」を続刊とともに買い、一気に読みきった。
岩波新書青版「羊の歌」は中学の国語教師が我々に授業中読ませたものである。無理強いをした、というのが適切な強引な授業であった。
13-4歳の私は、随筆とはいえ構築的で広範な文化的素養を背景にした文章を理解すべくもない。クラスの誰もが恐らくは理解はおろかまともに一章をも読めていなかったはずだ。
文中で話は旅について及ぶ。今思えばそれはプルーストに影響を受けたであろう加藤氏が、時空の主観性についての卑近な例証を随筆に落とし込んだものであろうが、当時の私にはわかるはずもない。ただ、後年こうして車窓から風景を眺める生活を常としてからその一節はどんどん生々しくなり、どうしてもその一節を再見したくなりついに30年ぶりに手に取った。(ちなみに今東京へ向かう車中で書いている。)
今改めて読むとまた様々な「読み」ができることに時間の流れを意識させられる。
凡人ゆえに自分の受けたこれまでの学校教育についての不満を言えば数限りないが、この点は大変感謝している。英語初学者にシェイクスピアを読ませるようなむちゃくちゃな授業であったが、今、厳然としてあの授業はとても実生活に役立っていると言うことができる。なにより、どんな無茶をしてもその断片は何らかの形で必ず体内に記録し続けられるという確信を得たことは大きい。
これこそ良質の教育ではないか?どこの教育メソッドに、田舎少年が仏文学に開眼する力を与えることができようか!?
日本の行く末を終始憂いていた加藤氏には、まだまだ発言しつつけていていただきたかった。
合掌。

