The Missing Piece
なかい歯科 御所南ほてつインプラントセンター 中居です。
咬み合わせの変化による身体の変化・変調に関しての記事を一般誌上、あるいはテレビ等でよく見かける。
「かみ合わせを変えて小顔に」なんてフレーズは「神会わせを代えて子が鬼」というぐらい理解に苦しむ話である。
咬み合わせ。別名「咬合」。
考えていただきたい。
咬合が日々変化している小児に不定愁訴は生じるか?咬合を喪失した総入れ歯のかたが皆身体に変調をきたすか?咬合のわずかな変化が身体に「主原因」として影響を「大きく」与えているとは考えにくい。これが現時点でのグローバル・スタンダードである。
ただし、現実にはご自身の咬合が歯科治療のどこかの過程で変化した(あるいは変化させられた)と感じ、それを起点として頭頚部に様々な不調を自覚し始め、複数の個人病院を転々として、最終的には大学病院まで、、、という受診歴をお持ちのかたがいらっしゃる。「ほてつ専門医」を標榜していることもあってのこと思うが、こうした方が時々当院を訪ねてこられる。日本の学会内では「顎関節症ⅴ型」と分類される病態である。共通しているのは、ご自身がその愁訴の原因を強く咬合にあると確信している点である。確かに、おっしゃるように発端はその時の歯科治療かもしれない。引き金と言い換えてもいいかもしれない。
しかし、こういう場合はその変化させられた咬合、あるいは失われた咬合を回復させても症状は一向によくならないことが多い。
私はこの現象をダムをモデルに説明している。
ダムに水が溜まる。そのダムは標準より少しだけ脆くできている。でも、平常時には何の問題もなかった。あるとき大雨が降って大量の水がダムに溜まっていた。その時たまたまハンマーで点検作業をしていたらダムのコンクリートが1ピースだけはじけとんだ。たちまちそこを起点にダムは決壊し、水は流れ出した。後日はじけとんだ1ピースが見つかった。
ダムは直るのか?水は戻るのか?
そういう話である。水が何に対応して、ダムが何に対応するのか、そういう概念を内包する言葉を我々はまだ明確に定義づけずにいる。
しかし、すくなくともこれだけはいえる。
missing pieceが見つかっても、「かつてのダム」は戻ってこない、ということだ。
患者さまの心的苦悩を緩和するための薬物療法、心理療法等の治療行為に対して、歯科ではその対価は現行保険制度下まったく認められていない。そして場合によってはこうした症例は私の専門領域からはみ出してしまうのだ。
私にできるのはmissing piece探しの無効性に自らが気づいていただけるよう導くことだけである。妙なインナートリップへ迷い込むことなく。
こうした疾患を生み出しているのは、無責任な(というより無頓着な)咬合に関する情報の氾濫も一因であろう。マスコミには猛省を望みたい。
何かが足りない
それでぼくは楽しくない
ころがりながらぼくは歌う
「ぼくはかけらを探してる、足りないかけらを探してる、
ラッタッタ さあ行くぞ、足りないかけらを……」
「The Missing Piece/ぼくを探しに」Shel Silverstein(訳:倉橋由美子)


