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EBMと考える手 その2

こんにちは、なかい歯科 御所南ほてつインプラントセンター 中居です。

 

前回の私のブログ「EBMと考える手 その1」の、つづき

 

医学的知識は、どこから生まれてくるのか?

「それは、研究であり論文である」というところまでお話した。

 

この論文というもの、実は玉石混交であり書かれていることすべてを鵜呑みにできるものでもない。「論文の質」や「信頼性」を吟味して読まねばならない。それには、トレーニングが必要である。骨董の真贋を見極めるような感覚的な能力を必要とするトレーニングではない。研究デザインをはじめとする論文の構造、また著者の考察の科学的合理性、他論文との整合性、あるいは矛盾点というものをきわめてロジカルに読み手側が分析しなければならない。

筆者は、基本的に読者にインパクトを与えたいと考えて書いているわけである(その抑制が効いている論文ほどよい書き方がなされているとの評価を受ける)。だからこちらは冷静にそれを判断しなければならない。過去の事象を集めるよりも、将来に向けた計画的なデータ収集のほうが好ましいし、一施設でのデータより、他施設で採取されたデータ群のほうがよい。また、データの対象者も無作為に割付された中での比較検討が望ましい。さらにはそうした論文が複数あってその総合をひとつの論文としてまとめられたらそれは最良の質の結論とされる。

 

現在、私の専門域である「補綴」に関しての主な国内誌(和文)は1誌、国際誌(英文)は3-4誌。

「インプラント」は国内1誌、国際2-3誌、「審美歯科」は1誌、国際2誌程度である。

月に平均10冊近くは刊行されている。一巻あたりの収録論文数平均10編、つまり月に100本の論文を読まなければならないということになる。一編あたりの論文は短編小説一編と同等のボリュームである。英語であればその読解の労作はさらに増す。そのほかに興味対象があれば、これをさらに上回る。これは研究職についてでもいなければほぼ不可能なことである。

 

しかし、だからといってあきらめてはいけないと考えている。食らいついていかねばならない。

そうでなければ、「俺流」で話を丸め込んでしまいがちな歯科医療はいつまでたっても「怪しげな」印象が付きまとうだろう。現段階で不確定な事象(実はこういうことのほうが圧倒的に多いのだが)であれば、患者さまにその不確定性の根拠を明示する。それが少しでも安心して不確定な治療を受けていただく最低限の説明要件であると思う。

 

現在、当院では上記論文の半分量は読み込もうというプロジェクトを立てている。有志のドクター数名が集まり、読み込んだ成果を語り合うという趣旨である。抄読会とも呼ばれる。自分で自分の首を絞めることになるのは承知の上だ。新しい機材一つ買うのと同等、時にはそれ以上に、有益と考えるからだ。

 

最終的に患者さまに触れ、施術するのはドクターの手である。

しかし、手は考えない。経験を刷り込まれているに過ぎない。

われわれは経験を超えてもっと確かなものをしっかりとバックグラウンドに持ち、それを手に伝える役割が必須である。

論文を読むという無味乾燥でわずらわしい行為は、後年になってなかなか身につけられる習慣ではない。そういう意味で長年大学にいたことは、今、日常の臨床の中で確実に役立とうとしている。

 

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